大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

佐世保簡易裁判所 昭和31年(ろ)22号 判決

被告人 吉原矢之助

明三五・八・一四生 会社員

主文

被告人は無罪。

理由

一、公訴事実は

被告人は、昭和三十年七月二十一日頃の午後七時頃、長崎市万屋町四六番地内山克已が目隠の為、自宅屋根上に建てていた板塀を損壊したものであつて、刑法第二百六十一条に該当する犯罪を犯した者である。

と謂うのである。

一、仍て、当裁判所に於て取調べた証拠により按ずるに、

当裁判所判示内山克已宅及之に隣接する同市万屋町四二番地万屋旅館の検証の結果、証人内山克已、同内山多喜恵、同大脇春子、同白石こと子、同末吉勇、同山田嘉一郎、同角咲子等の各供述、被告人の当法廷に於ける供述を綜合すれば、判示事実に該当する事実は次の通りであることが認められる。即、万屋町四六番地内山克已の住宅と同町四二番地角咲子経営の旅館の建物とは壁一重で隣接して居り、同旅館の裏側二階廊下の壁に横六尺、縦二尺五寸、約四寸間隔に縦に鉄棒をはめ込んだ窓がある。内山克已は昭和三十年七月中旬外方から此の窓に密着して幅六寸三分、長さ三尺二寸の板を重ねて打ちつけた横六尺三寸の目かくしを、大工末吉勇に命じて作らせた。偶当時同旅館に宿泊中の被告人は旅館主角咲子の依頼により、右目かくしの作られた数日後(四、五日後と推定される)旅館内への採光、通風を遮断するとして、金鎚を以つて目かくし板二、三枚(約一尺幅、端の方部分と思料される)を内側から叩き外した、と謂うことである。

右被告人の所為は正に刑法第二百六十一条の器物損壊の罪に該当すること明らかである処、

弁護人は右の目かくしは、旅館の屋内採光を遮断し、営業に多大の支障を来した不法の侵害であるので之を排除した被告人の所為は刑法第三十七条に所謂自由と財産に対する現在の危難を排除した行為として罪と為らない旨主張するにつき、按ずるに、

冒頭掲記の各証拠を綜合するに、内山克已宅及万屋旅館は共に建築以来数十年を経た建物であつて、内山克已が昭和二十七年中移り住んだ当時は、既に其以前より角咲子は万屋旅館を経営して居り本件二階の窓は存在して居つた。窓の構造大きさは前述の通りであつて、廊下に立つて窓の鉄格子の間から外を眺むれば内山克已宅の台所の瓦屋根を見下し、左斜め方向に、二階の室内の一部を窓を通してありありと見透し得られる。

斯様な状態の下に数年間、両者の間には、此の窓に関しては何事もなく経過したのであるが、内山克已は昭和三十年七月中旬のある夜、九時、十時の間、何の前触れもなく突然大工末吉勇に命じて、前示目かくしを作つた。其の事由とするところは、宿泊客が窓から自宅炊事場の屋根に吸殼を投げ捨てるとか、痰を吐くとかまた自宅二階の室を覗き見するというのであつて、其等の事実の有無は措て置き、右内山克已の謂う如きことは、窓を通して為し得られること、窓の構造、位置等よりして可能であることは認められる。

而して、右の目かくしは、之を作つた証人末吉勇の供述に依れば、六寸三分幅の板(厚さ四分位)を重ねて打ちつけた窓の大きさより大きい目かくしを、窓の外側に壁から約三寸離して細い木の枠で支へて取付けた簡単な構造のものであつて、夜間九時、十時の間約三十分で取付を了し、費用は材料代共約九百円で作つたことが認められ、其の材料、構造、取付け方よりして、前記の如き災厄を防止する目かくしとしては極めて粗雑に過ぎ且一時しのぎのものであつたことは明らかである。

次に、万屋旅館にとり、此の窓の効用を観るに、証人角咲子、同大脇春子、同白石こと子等の供述と検証の結果とに依れば、同旅館の客室は二階に九室を有し、階下よりは玄関脇より登る階段と本件窓に突き当る階段とあり、窓は宿泊客や女中等が後者の階段を登り降りし、廊下を通るにつき、採光、通風上欠くべからざる用を為して居り、試に窓を幕で遮蔽して光線を遮断したるところ階段は電燈を点ずるに非ざれば、上下するに甚だ危険であり、廊下も亦窓に近い客室迄も暗くなることが認められた。従つて、前記内山克已が作つた目かくしは、窓よりの採光を全く遮断し、通風を著しく悪くしたことは容易に推認され得る。

次に、右の如く一方採光、通風を妨ぐることなく、他方痰や吸殼覗き見等の被害を防止し得られる他の方法の有無を検証し得た状況より考えるに、は極めて容易に、又多額の費用を要せずして実現し得られる。即、或は窓に金網を張るとか、目かくしの上部を窓より離して取付けるとか(市街地に普く見受けられる方法)或は、窓と内山宅との中間屋根の上に目かくしを立てるとか、吾人専門の技術者に非ざる者に於ても容易に考察し得られる。

以上の如き状況の下に本件の目かくしは作られたのであるが、一夜の中に予告なく作らねばならなかつたと謂う様な緊迫の事情の発生は毫も認められない。若し内山克已の謂う如き事由があるならば、旅館と交渉により直に解決し得られたであろうことは旅館主角咲子の供述に徴し輙く看取し得られる。然るに事茲に出でず前記の如く目かくしを作つたということは、常識を逸し、真に覗き見等を防ぐ為ではなく、相手を嫌がらせ、困らせてやろうというが如き寧ろ悪意に出でたものではないかと疑はしめられる。殊に目かくしの構造、取付け方等にかんがみる時、其の感を深くするものがある。

而して、万屋旅館に於ては、此の目かくしの出現に依り営業上多大の支障を来すので、人をして内山方に取除き方を交渉せるも、其の意思なきこと明らかとなり、又旅館主角咲子に於ても巡査派出所に至り、事情を説明し取除き方措置を訴えたが、取上げられず却つて自分で取除いても差支えない旨聞いたので、帰宅するや恰も予て同旅館を定宿として居り、親しい被告人が来宿して居つたので金槌を被告人に渡し、目かくしの板を内側から取り外す様依頼し、些か義憤を感じて居つた被告人は即時該金槌を振つて目かくしの板二、三枚を枠からはずしたものと認められる。

一、公訴事実に該当する事態のてん末は概略如上の通りである。之を要するに、本件の損壊行為は叙上説示する如き状況の下に生じたものであつて是等諸般の事情、事実を、法律上の救済手続による煩瑣、時間、費用の点と綜合考慮すれば、本件損壊行為は法秩序を紊し、社会の平和、生活の安全を破壊するものとは思料されず社会通念に照し当然宥恕さるべきものと認むるを相当とする。

仍て、本件は違法性無きものとして罪とならざるに因り、刑事訴訟法第三百三十六条に則り無罪の言渡を為すべきものとす。

(裁判官 越尾鎮男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例